e庵の日記

妻の病気 その5

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2020年3月、急に妻が怒り始めました。

なんだか、僕が全て悪いかのような言い振りにどうすることもできず、反論しても、口が達者な妻に僕は勝てません。

妻と妻の母はあまり仲が良くありませんでしたが、母を呼んでほしいと言って、来てもらいました。

数日は、ご飯を作ってくれたり、色々と話し相手になったりして、その時は仲良くしていましたが、

 

急にまた喧嘩し始めて、お母さんは来なくなってしまいました。

そして、僕に対してもものすごい怒りをもっていて、何もしてやることができなくなっていきました。

突然、別々に暮らしたいと言い始め、そんなこと無理だろうと言って反論したのですが、聞く耳持たず。。

治療院や、病院に行く時だけ、車を出して、それ以外は、もう一軒タダ同然で借りていた山奥の家に籠ることに。。

その間のご飯は、妻から友人に連絡がいき、色んな方達にお世話になっていました。

 

今回ばかりは初めてのケースでもうどうしたらいいのか皆目検討もつかず。

とりあえず、妻が落ち着くまで、したいようにさせてやるしかありませんでした。

そのような生活が始まった時に病院での検査とステント交換の時期がやってきていました。

 

病院へ行く直前になって、深夜トイレに行っている妻に呼び出され、駆けつけてみると、ステントが自然と抜けて出てきていました。

つまり、、

 

ガンが小さくなって圧迫しなくなった!!!!

 

ということです。これは本来なら大喜びしたいところだったのですが、妻が自分で取った行動が功を奏したと言わんばかりの状況に歯がゆかしいだけとなり、むしろ悪い状況にならないと本人はわからないのではとさえ、思ってしまうほどでした。

 

病院にこの状況を説明して、血液検査をした結果、ステントは挿入しないで、様子を見てみましょうということに。

病院の先生も信じられないといった口ぶりでした。

 

治療院の先生を信じて生活してきてよかった!!

とりあえず妻の病状が良くなっていくことに、全てのものに感謝しました。

 

しかし、妻の精神状態はさらに悪化し、僕が何か話そうとしても、ものすごい勢いで怒鳴られ、しまいには出て行け!!で終わってしまう状況。。。

 

それからも、友人たちにお世話をお願いしたりしていましたが、その口調も厳しいものでした。

「こんなもの食べれない」とか「こうやらないとダメでしょ」とか、やってもらっているのに、怒る始末。

料理の先生が作っても食べなかったり、色んなことを言われて、耐えられなかったりして、色んな友人が来れなくなっていき、

また新たに他の友人たちに頼るという毎日になっていきました。

いよいよ、来れるひともいなくなってくると、自分で出前館で出前を頼んで、食事を取ったりしていましたが、

今まで、こんなに頑張って食事に気をつけてきたいたのに、、毎日ピザやハンバーガー、パスタに中華料理、極め付けは大量のケーキ。

 

ここまで頑張ってきたことを全て無にする気か!と言っても聞かない。治療院の先生に、そんな奴は診てやらんと怒られても、聞かない。

反論してくる人はみんな切り捨てていきました。。

そして、お金使いも荒くなっていきます。うちに来てくれたお客さんのお子さんが、段差でつまづいたのをみて、段差をなくすためのフローリング材を買い始めました。窓も風がうるさいと二重窓にしたり、家具も全て総取っ替えしようと一気に5、60万円分が一気に僕のカードで支払われていきました。

まずは自分の身体を治すことにお金を使って欲しいと言っても聞いてくれません。

 

そういえば、あのサプリを摂り始めてすぐくらいから、この症状の気がする・・・

あれはもうやめよう!あのせいかいもしれない。

そういうと妻は、なんか身体に合わなそうだったから、やめたかったからやめるといって、とりあえずサプリはやめてくれました。

 

それでも1ヶ月以上毎日摂ってきたものは身体に残るものです。

なかなか症状は消えません。そのサプリが原因じゃないかもしれませんが。。

 

病気になったのは全て僕のせいにされてしまい、、(たしかに僕にも少なからず責任はあるとは思いますが。。)

友人たちに電話をして、いかに僕が悪いのかをひたすら説明していきます。しかも嘘だらけなのです。

これは聞くに耐えません。悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。こんなに一所懸命に妻のことを考えて行動してきたのに・・

僕は友人に相談をしていましたが、一応、何があるかわからないから、妻の電話の内容とかを録音しておくといいと言われ、その通りにしました。というのも、妻は僕に内緒で、弁護士に連絡をして、あることないこと話して、離婚して僕に慰謝料を請求したいと相談していたのです。

 

もうここは地獄なのかと思いました。

 

どうしたらいいのか神様やご先祖様や色んな存在にひたすら祈りました。

 

コロナの状況下であるにも関わらず、僕は稼げないからとイベントを企画して、お金の講座を開き、狭い部屋に10人、20人と集めて、自分で稼ごうとしていきます。

講座に来てくれる講師の方にも、妻の状況を説明し、ぜひ、あなたからも今は無理をせず講座は先延ばしにするように妻に言って欲しいと頼んだのですが、聞いてもらえず。。。

 

これじゃあせっかくここまで治した身体が悪くなる一方じゃないのかと思いましたが、

そう思うことが、病気を悪化させると妻は言います。

にっちもさっちもいきません。。

 

それでもまだそこまで悪くはないので、と言っても寝たきりで、トイレとの往復くらいしかできませんが。。

でもがんばって、自分でキッチンに立って作ることもしたりし始めました。

なので、とにかくこちらからは様子を見ながら、妻のサポートをしていくしか手立てはありませんでした。

 

ここまでくると脳の病気なのか、ガンで脳までやられてしまっているのか、、

そう考えるようになり、ガン専門医で有名な先生とご縁があり知り合い、先生の部屋まで行かせていただき、状況を説明したら、それはあり得ますとのこと。

病院もその先生のところに紹介状を買いてもらって移りたかったのですが、なかなか難しいようで上手くいきませんでした。

 

そんな状況の中、4月5月と時は過ぎていき、5月の中頃になって、少しずつ穏やかな感じになってきているのを感じました。

それでも一発触発ムードは変わりないので、当たらず触らずの精神で、とにかく優しく接しました。笑

 

三重の治療院にもいきたいとのことで、また連れて行きました。

泊まりは、近くにある鹿の湯ホテルというところ。

ここは、鹿肉も出るし、温泉は貸切もあるしで最高でした。久しぶりの妻との二人旅行となり、これが最後の二人旅行ともなってしまったのですが、とてもいい感じで、過ごすことができました。ありがたかったです。帰り道もサービスエリアで和物のお店を発見して、

久しぶりに二人で、仲良く靴下を選んで買いました。本当に戻ってよかった!そう思いました。

 

そのあとも友人たち2人と合計4人で大きな車を借りて、三重まで行き、その帰り。

みんなと解散して、神奈川に帰ってきた時に、山奥の空気のいい家(サイハテと呼んでいました)にたまに泊まるか!という話になり、急遽行くことに。友人もたまにサイハテに泊まって畑を作ってくれていたのですが、ちょうどその日は彼もいて、ご飯を作ってくれました。

しかし、山奥で築200年の古民家。とても寒くて、妻の身体には応えました。

そして、サイハテに来ることに対して、僕らは甘く見ていました。

 

寒さにやられ、次の日、神奈川に帰ってから、体調が激変し、悪化し始めました。

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